僕のこれまでの資産の推移ってどうだったのか考えていたら自己紹介になっていたでござる。
こんばばんにちは。昼寝ねこです。
昨日、2018年末の資産の状況を記事にしてふっと考えたんですが、
今までの年齢と資産状況はどうだったのかなって…
こういうの書いているブログの方もいらっしゃいますよね。
今回はそこんとこ思い出してみたいと思います。
- はじめに留意事項
- 22歳 資産100万円
- 23歳 資産300万円
- 24歳 資産300万円
- 25歳 資産400万円
- 26歳 資産500万円
- 27歳 700万円
- 28歳 1000万円
- 29歳 1200万円
- 30歳 1400万円
- 31歳 1700万円
- 32歳 2000万円
- 33歳 2300万円
はじめに留意事項
多分、探せば何かしらあるとは思いますが膨大な手間なので、
記録をあさるわけではなく記憶から書いていきます。あしからず。
ちなみに僕が働きだしたのは大学卒業の22歳で25歳からセミリタイアを目指していました。今まで転職しまくったので多少面白い内容になると思いますよ。
22歳 資産100万円
大学卒業して関西のほうに就職し、研究所で働いていました。
年収は340万円ほど。給与は高くないように感じますが、
リーマンショック後だとマシな方でした。年休125日裁量労働でした。
人生初であり人生最悪の車を20万で買って、家具電化製品なども揃え、
引っ越しやら敷金礼金でお金がかかりましたね。
リーマンショックでFXで50万円の含み損が出ていた気もします。
23歳 資産300万円
リーマンショック後100年に一度の大不況と言われていました。
僕は株を始めていました。100年に一度なら今買えば余裕じゃん!?と思ってました。
実家に帰るとき使えるし、使わないならすぐ売れるJAL株を1000株持っていました。
JALが経営破綻して50万くらい損したのを覚えています。
BSE問題の時は農水大臣でニュースに出されていた前原さんが、
JALショックでは国交大臣で出されていてこの人ついてないなぁと思いました。
その後も前原さんの苦悩は続く。
24歳 資産300万円
JALを損切りして資産が減ったのと、FXで損して資産はぱっとしませんでした。
JALを買っていた資金が返ってきたので日神不動産と飯田GHDなどの不動産株を買いました。当時はリーマンショックでゴミ同然の株価になっていました。
配当は期待できないものの、株主優待利回りで15~20%なんてザラでした。
株主優待ってすごくね?と思って利回りが高いものから買いまくっていました。
25歳 資産400万円
人間関係のストレスから会社を辞めて農業をしたいと思いました。
車は処分し、実家に戻り大学の時乗っていた原付に乗ることにしました。
農業見習いの給与は年収200万円ほど。年休は90日くらいしかなかったんじゃないかな?超過酷な肉体労働です。
夏暑いし冬寒い。地獄です。自給800円だったかな?
朝から暗くなるまで汗だくで働きました。
農業はなんとか特例で残業割り増しもなければ雇用保険もありません。
社会保険もなく、ここから国民健康保険料を払わなければいけませんでした。
農業経営者っていう人種の人間の汚さをここで学びました。
ここら辺のことはいつか機会があれば記事にしたいと思います。
この頃の僕は世間とか人間の悪意とかをなめていましたね。
人間の汚い部分を見て嫌気がさしたのと、豪ドルのスワップが1万通貨で1日100円くらいあり、株の配当金も増えてきたのでセミリタイアについて考えだしました。
26歳 資産500万円
農業は1年で辞めました。社員にならないかと言われたからです。
僕がそこで働いていたのはその農家が出荷先に大きなパイプを持っていて、
いずれは畑を借りて経営者になれるという話があったからです。
僕は働くだけではなく1年間の仕事の流れをしっかりと記録に残し、
いつでも独立できるようにしていました。
提示された給与は月給17万円。厚生年金もなし。話になりません。
断ったうえで独立できる話はどうなったのかと聞くと、
怒り出しはぐらかされました。要は体のいい餌で世間知らずな若者を釣って、
働かせていたのです。計算もできて仕事も使える僕が惜しくなったんでしょうね。
1年やって僕は農業で食べていくのは無理だと思うようになっていたし、
契約という契約もなかったのでそのうち行かなくなりました。
彼女とも別れ、1年間のヒキニート生活に突入です。
無気力で自暴自棄になり何もする気になりませんでした。
朝起きてパソコンいじってアニメ見てご飯食べて寝る。今思えば最高の生活。
しかし世間の目は厳しいです。自己否定と現実逃避の日々。
こんな思いをするに至った人間たちへの恨みと怒り。
何もすることもないのでいじっていた箱。これが金になるのではと思いました。
当時流行っていたまとめさいとを立ち上げて狂ったように更新しました。
一日家にいるのですからそれは時間をかけて編集して書けますよ。
人気も出てきて最大で1か月30万円くらい稼げていました。
お金が稼げると気持ちにも余裕が生まれました。すると自然に働こうと思えました。
農業で今食べていくことはできないけど、畑は好きだしいろんな事やって資産を増やして畑を少しやって暮らすスタイルがあってるなぁというビジョンが固まりました。
27歳 700万円
農業ニートでブランクがあるのでまっとうな仕事に就かず、派遣社員として働きました。交代勤務の工場で10時間労働年収340万円くらい。ネットの副収入もあり世間体のための労働でいつ辞めてもいいという気持ちで働いていました。同年代の人も多く割と楽しい人間関係でしたね。それに夜勤は半分は休憩でした。2人でやる仕事ですが実は1人でこなせるため、人目がない夜勤はみんなそうしていました。
しかし派遣社員というのはやはり雇元の会社とは大きく区別されるものです。差別と言ってもいい。そういうのが劣等感になり、正社員で働くかと思って転職することにしました。
28歳 1000万円
中小の施設管理で正社員として働きました。仕事はめっちゃ楽でしたが給料は300万円くらい。残業は無いので株やFXに集中していました。ちょうど課金ゲーが賑わって問題になっていたころです。僕もブラウザゲームにハマり3万円ほど課金しました。今思えば無駄な出費です。ネットでの副収入はグレーになってきたので止めましたが、株が儲かっていたので気になりませんでした。
この頃にはゴミのような価格で買った不動産株がJALの損を帳消しにしてくれたし、リーマンショック時のFXの損もFXで取り戻せていました。
29歳 1200万円
またしても人間関係が嫌になって辞めました。パチカスヤニカスの気難しいおっさんとペアになってから僕のストレスはマックスでした。肩の痛みから頭痛が出てきたらすぐに辞めました。また働いたのは1年くらいでしたね。29歳は2度目のニート期間となりました。3か月の自主的自宅療養のあと、仕事を探し始めるとすぐに転職になりました。
このころ僕は2chのニート無職フリーター集会所に入り浸っていました。
ここからは怒涛の転職ラッシュでした。(他人からしたら今までもだろうけど)
1社目家のすぐ近くの製作所 月給20万円
入ってみるとイカれたメンバーを紹介されました。元少年院卒のラリった20代、知能レベルが障〇者スレスレのパワー系池沼、一見まともでリーダーっぽいけど元走り屋のおっさん、元ヤクザ、元ヤクザ…出張のため泊まった旅館できれいな龍の入れ墨を見た僕は3週間で逃亡しました。
2社目食品製造 月給24万(たぶん)
ここは単に超絶ブラックでしたね。全身白装束に着替えるのですが、時間がかかる。
昼休憩の際も着脱して移動してるとそれだけで半分終わってしまうようなあほさ加減でした。工場内は小麦粉かなんかで視界が白くかすみ、メガネが真っ白になりました。
僕の担当になった仕事は機械の監視。製品の切り替え以外はほとんど何もやることがなく最悪につまらない仕事でした。みんな死んだ魚みたいな目をしてました。そもそも白づくめで目以外見えないけど。
ただひとつ良かったのはカレーがめっちゃ美味しかったことです。
つまらないにも程がある。5日で辞めました。
3社目電子系の製作所(下請け) 自給850円
その後いくつか受けていたのですが、まずここが決まりました。仕事自体は楽でしたが下請けの小さな会社って感じでした。最初は自給で研修だけどすぐに社員になれるとのことでしたが、会社の雰囲気を見てこれはアレだなと思いました。入って3日目、この会社の元受けっていうのかな?の大きな会社の採用が決まったので辞めました。
4社目電子系の製作所(元受け) 月給30万円(基本給)
僕の就職の1番の優先事項は家の近く30分圏内であることです。そのため上のような目にあったんですが、通勤時間を妥協すればちゃんとした会社に入ることもできるんですよ。久しぶりに3時面接まで受けて技術員として採用されました。あぁようやく就活も終われると思いましたね。甘い!!
これは100%僕の甘えだと今は言えるのですが、技術員というものは超絶拘束時間が長いのです。今の会社でも技術員はそんな感じですし、やりがいもある。覚えることも多くて楽しい。出世もできる。そして責任もある。だから給料がいいんでしょう。
しかし通勤に50分かかり会社に12時間以上拘束される。おまけに休出もある。働きたくないマンの僕にこんな仕事できるわけないですわ。2か月で辞めました。もう転勤したくないし。
5社目外資系金属部材製造 年収500万
ということで散々転職した結果、転勤無し残業あまりなし、夜勤無し、食品と下請けでない会社を探すことにしたんですがありましたよ。しかも家から15分の所に。とりあえずここに決めました。
30歳 1400万円
3か月間の研修ののち、正式採用されました。メインは検査業務でたまに加工もする。品証の補助をして将来は品証にという話の流れでした。年収もどんどん上がっていくし何だこの会社は!?と思っていましたね。問題もありました。
僕の仕事をしていた前任者は最悪の性格で工場長と争った末に移動させられたらしく、僕のことを目の敵にしてきました。僕も持ち前のコミュ障っぷりで何度かバトルになりました。ものすごいストレス。給与が良くなければすぐ辞めてましたよ。
ストレスからセミリタイアを現実的に考えるようになり、このブログを書き始めました。この頃株価は最高潮でしたよね。
31歳 1700万円
衝撃が走ります。アメリカの本社から日本の事業の縮小が言い渡されました。リストラです。ショックもありましたが人間関係に疲れていた僕にはありがとうございます。って感じでした。この辺の記事はブログにあると思います。2月にリストラ告知→5月末で解雇→無職になりました。就労期間は1年半です。失業保険と退職金でしばらく1年くらいのんびり職業訓練とかして過ごそうと思いましたが、すぐに今の会社に就職が決まりました。
32歳 2000万円
今の会社もくそです。通勤距離で探すとろくな会社がありませんよ。
給料も安いし会社も酷い。年収320万円といったところでしょうか?会社は酷いですが、部署は良いです。人間関係もわりと良好です。上長からの評価も良くこのままいけばある程度の年収は貰えるようになるでしょう。もう社会人の人間関係にも働くことにもうんざりしているので辞めることを前提に仕事をしています。
33歳 2300万円
現在に至る・・・人生という冒険は続く。
振り返ってみると碌なことのない人生ですね。
ニート通算2年に10回も転職してる人もなかなかいないのでは?
依頼があれば本書きますよ!!
まぁでもカウボーイビバップでも言っていましたよ。
泥の川に浸かった人生も悪くはない。一度きりで終わるなら。ってね。